vol.40 「独り蹴球」/宮本空(2年)

こんにちは。情報理工学院 情報工学系2年の宮本空です。出身は都立戸山高校です。
まずは孝幸からの「高校に留学して1番心に残っている思い出は何ですか?」という質問に答えたいと思います。自分は高校一年生、16歳の時に10ヶ月間ほどラグビー大国ニュージーランドに留学をしていました。なので、本場のハカができます!

留学先での思い出は、言語が通じなくてもサッカーで繋がることができるということです。自分が通っていた現地の学校は留学生が自分しかおらず、留学してから約4ヶ月間、友達が全くおりませんでした。しかし、シーズンが始まりサッカー部の活動が始まるとサッカーを通してコミュニケーションが取れるようになり、たくさん友達ができたということが1番心に残っていることです。他にもいろいろありますが、それは個別で聞いてください。


今回ブログを書くということで、何を書こうかいろいろ考えました。その中でやはり周りの人と異なるサッカー人生を歩んできた自分の過去についての話。そして今の自分の想いについて書いていきたいと思います。
まず、自分のサッカー経験について書いていこうと思います。自分は小学校一年生の頃にサッカーを始め、小学生時代はドリブルに特化したサッカークラブに所属していました。週3,4の練習で毎回1時間ほどボールタッチやコーンドリブルをしていました。今では考えられないですが小学生の頃は、結構足元のテクニックがありました。6年間積み上げた技術が今となっては無になっていることが自分でも驚きです。サッカー人生に大きな壁が立ちはだかったのは、中学生の頃です。

地元の公立中学のサッカー部に入部したのですが、部員は最初、自分と幽霊部員1人のみでした。中学一年生でまさか、遠藤守みたいになるとは思ってもいなかったです。約1年間、週3回の練習を1人、たまに2人でこなしました。やっていたことは、無人のゴールにシュートを打つことや基礎練、対面パス、外周くらいです。2年生になり、パッションで新歓を行い新一年生が10人入部しますが、自分の熱についてくる人もおらず2人退部をして、結局公式戦は剣道部の生徒を助っ人として参加してもらい、試合に出ていました。ひどいサッカー生活を中学時代は過ごしました。

高校生になると部員が合わせて40人ほどいる高校に進学しました。人数の多さに胸を躍らせていましたが、いざ入部してみると全員サッカーをやる気がなく、練習をサボる人が多くいました。自分の学年もやる気のない人が多く弱かったです。サッカーを本気で行える環境だと期待していた自分にとっては非常に残念でした。実際にインターハイで自分以外全員引退をしてしまい、夏休みも選手権のためにサッカーをしていたのは自分だけでした。そのような生活をしていた自分にとって、大学サッカーは夢のようなものです。グラウンドは人工芝で広く、全員がサッカーに真面目で刺激されることも多く、とても楽しいです。今、熱中してサッカーに取り組める環境に感謝しています。

次に今の想いについて書いていこうと思います。

サッカーが下手な自分が言えたことではないですが、サッカー部は練習の雰囲気が良くないと感じています。練習メニュー間の時間が長いことや、練習にギリギリで来る人、練習でいつも手を抜く人、ただただ文句を言って守備をしない人がいます。自分が常に100パーセントで練習に参加できているかといえばそうではないし、手を抜いてしまう場面もあります。常に100%で練習に参加できている人などいないでしょう。このような雰囲気の中で、より良い練習にするために自分は「声」が大切だと考えています。練習の時に盛り上げる声、鼓舞する声やポジティブな声かけが増えれば、多くの人が積極的に練習に取り組むことができ、雰囲気も良くなります。試合の結果にも大きく影響するとおもいます。なので、もっとみんなには声を出してほしいと思っています。


自分はサッカーが下手でプレーで示すことができないからこそ、一年生の頃から、練習の雰囲気を良くするために率先して声を出すことを意識してきました。次のシーズンから自分たち2年生は幹部の代になります。今までは先輩たちの背中を見てきた自分たちがサッカー部を引っ張る必要があります。声で引っ張るだけでなく、プレーでも引っ張れる存在になれるよう頑張りたいです。またレギュラーとしてチームに貢献したいと思っています。               
最後に直樹に質問です。直樹はどのようなタイプ、特徴を持ったFWを目指しているか教えてほしいです!

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